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世界地図の中のマイ・カントリー

この国は、小さい島々が連なる比較的目立たない国ではあります

が、今となっては、世界の中の二大大国から幕末以来、色々と影

響を受けて歴史を残してきました。

その中でも、ペリーとレザノフについて少々。

かたや合衆国、他方ロシア帝国の使者として、眠れる幕府の門を

叩くのですね。

その叩き方が少々荒っぽかったので、今尚日本史に両氏の名は

残っているのですが。

少々話が横道にそれますが、ペリーさんのこと。

彼は米国を代表し軍人として、捕鯨船停留基地のため日本と交

易を取りまとめたく、来日するのですね。

その行動が非常に荒っぽかった。

彼自身、東洋人には恫喝(どうかつ)あるのみで基本ゴリオシ戦

略しかなかった。

彼は、部下からもその性格を好まれる事は無かったそうで、晩年

親族がユダヤの富豪と結婚した後、真逆の執事的労働も経験さ

せられ、傲慢・驕慢と隷属・恭順を兼ね備えた人物として評価され

た節があるそうです。

他方レザノフさん。

彼も一応はロシアの顔として、表敬ではなくペリー程ではないにし

ろよく似た態度で幕府に接しようとしました。

ロシアの場合、日本との交易の必要性とは、シベリア開発に関わ

る死活問題にまで言及される課題ではあったのです。

少数のコザックを利用してロシアはその左腕を、右腕以上に長く

手を伸ばし、シベリアをゴッソリ手に入れました。

しかし、その左腕は痒いところに手が届かないのですね。

その先に日本があった。

彼は、国益を図るとロシア内ではその建前を披露して、ワザワザ

日本沿岸まで訪れてきたのですが、ホンネは露米会社の収益に

あったのですね。

つまりは自分の懐具合の取らぬ狸、ならぬ黒貂やラッコの毛皮の

採集と売買で稼ごうとした。

彼の今ではそう言われるかもしれない、非道徳的思考や行動を

同乗者のクルーゼンシュテルンは非常に忌み嫌っていたそうで

す。

レザノフ自身、対日交渉に失敗し、陸路首都に向かう途中消える

ように病没したそうです。

その意味は、本音と建前が本国で暴かれた時の不安と焦燥がそ

うさせたのではないかという考え方です。

さて、当時の日本は外洋を自由に移動できる船の登場の為に、

300年近い安眠に冷水を浴びせられるがごとく、いきなり対海外

へのお付き合いを余儀なくさせられるのです。

その後、新しい政府を樹立し、米露に歴史的なお付き合いをして

来た日本の足跡は、今でも私たち日本人に正誤を判断させない

歴史のお勉強として連綿と正に今、に至っているということなので

しょう。

世界地図の中のマイ・カントリーはそれを眺めている当方に、何

か訴えるようなものを感じる、

そう、

今日この頃なのでした。<(_ _)>

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